初めまして。まさなりと言います。この記事では自己紹介をしようと思います。
2025年10月29日、広島市佐伯区でPUB(実態はBAR)を開業しました。
2026年2月11日現在、何とか生存し、人間らしい生活も保たれていると感じます。
ここに至るまでの紆余曲折を、頭を絞りながら書き出していこうと思います。お時間ある方はお付き合いくださいませ^^
両親がカフェを営んでいた。
1991年に生まれ現在34歳の僕ですが、生まれた時にはもう両親がカフェを営んでいました。
ド昭和の雰囲気なので、人によると純喫茶という言い方をしたいとも思いますが、食事を提供する場でもあることから、定義上はカフェだと思います。
父親が会社員ではないこと、母親も家にかかりっきりではないこと、「お前んち、店なのかよ」と友達から言われた経験など、恐らく周りの大半とは違う環境にあったと思います。
幼少期から「大勢と違う」ことに活路を見出していたと思いますが、こういった背景が沢山あったものと思われます。反面、多くの大人に迷惑をかけまくる「変な子」でもあった自負があります。
何にせよ、親が必死になって(時には機嫌悪く)働いている姿を目の当たりにすることは、僕にとってはとても有り難く、また強烈に印象的な経験でした。
自分の親が必死になって声を出してフライパンを振り、コーヒーを淹れ、顧客をお見送りする姿を見ていれば、それが日常になります。同時に、親のありがたさを感じることもできます。
自分の親が何の仕事をしていて、自分のご飯は何故食べることができて、自分はなぜ高校や大学に行くことができたか。分からない子たちも多いと思いますから、僕はやはり恵まれていたと思います。
人の言うことを聞いて決断し、大後悔。
高校までは広島市安佐南区で過ごしましたが、大学は福岡県の九州産業大学に通いました。
中学高校と、かなり本気でバスケットをしていましたので、大学でももちろん続けるつもりでした。
九産大は九州でも屈指の強豪校でしたが、当時の僕は全然通用するつもりでいました。
1年生限定の寮に入寮し、部活の見学に行き、入部したいと申し出ました。
時の監督さんから言われたのは、バスケ部はバスケ部の寮に入らないといけないということでした。
その他にも大学における成績、取ってもいい授業、基本的にスカウトした選手が、高校の卒業前から練習に参加していることなどを告げられました。
基本的には門前払いをするつもりで色々付け足していったと思いますが、住処の問題だけはどうしても自分一人で解決することはできません。4月に入寮させてもらって、4月の話ですからね。
当時バスケ関係でお世話になっていた「大人のお兄さん」が、広島にいました。
よく慕っていたので電話で相談してみました。
「お前それ、もういいんじゃない。部活じゃなくても。」
その人にそう言われ、まあ良いかと思ったのです。僕の本気は恐らくその程度でした。それでも今考えてみれば、何とも無責任な大人です。
自分が同じシチュエーション(相談される側)になった時、特にそれがその時しか出来ないことなのであれば、やらない後悔を教えてあげたいと思いながら生きています。
とにかく。本気でやるバスケットを他人の助言で易々と手放した僕は、大学2年から31歳になるまでずっと後悔し続けます。
それは「自分で決断しなかった」「やっていたら通用していたかも知れない」という、2つの意味での後悔です。
つまりは、人の言葉を鵜呑みにした結果、挑戦すらしなかった。一歩だけ、体験参加であっても、目の前にチャンスはあったのに。
通用したかどうかも分からないまま歳を重ね、何物にも替え難い情熱を手放し、悶々と拗れる数年を送ることになりました。
その体験から得た教訓です。少しくらい頑固な変人と思われようとも、「自分で決める」癖がついたことは、長い目で見ると非常に有用なことでした。
BARでアルバイトをした
大学3年生のGW頃からだったと思いますが、BARでアルバイトを始めます。
そういえば飲食店で働いたことってないなあ・・・。やってみるか!と思い立ち、タウンワークを検索。
当初は両親と同じ、カフェを探していたのですが、目についたのは「バーテンダー」でした。
何とも「モテそう」「かっこいい」と単純に思い。インパクトそのまま応募してしまいます。
今思えばこれが人生を左右する決断というか、きっかけだったわけですが、知る由もありません。
ひとまずは福岡市内でも非常に大きな勢力を誇るグループでアルバイトをすることになりました。
ここが非常に厳しい世界でした(僕が若く青かったこともかなり関係あります)。
辞めるだの辞めないだの、好きだの嫌いだの、鬱だの愚痴だのと、色々ありながらも何とか大学の卒業までは辞めずに続けることができました。
驚いたのは、酔っていたこともあるとは思いますが、最終日には涙が止まらなかったことです。
大泣きしながら当時の店長や先輩に抱きしめてもらったのを覚えています。
「すみませんでした。ありがとうございました。」と言いながら、いつかBARに戻ってくると決めていたと思います。
何となく飲食業界(外食産業)に就職
バスケ以外に高い志があったわけでもありません。そのバスケを手放したのですから「ただ何となく」の、そこら辺によくいる大学生です。
就職だけは決まっていないと親に悪いという思いから、就職活動は周りと同時期に始めました。
マイナビかリクナビかが主催している就活エクスポ?にスーツで参上しました。その日が就活解禁だったと思います。
今なら名前のわかる大企業や、今となれば消滅してしまった大企業、僕は文系なのになぜか理系の大企業など、幾つかの説明を受けましたが、方向性も何も決めていないので、話だけ聞いてもさっぱり響きません。
その企業が何をしているかは話を聞けば何となくわかるのですが、腹の底では働こうなどとすら微塵も思っていないのですから、響かないのも当たり前です笑
そんな時、目の前に「丸亀製麺」ののぼり(旗)が現れました。
何をしている会社なのか、入社後に自分が何をするのか、一発で理解できました。
採用担当社員の程よい軽さ、人柄の良さ、恐らくは相性の良さを感じたこともあり、選考を受けてみることにしました。
あれよあれよと選考が進み、あっという間に内定が出ました。
当時「80〜100社はエントリーして、30〜40社は選考を受けて、2〜3社内定が出る。」と言われていましたが、4社のエントリーで1社内定が出たので就活は終了しました。
4年生の夏休みくらいまでに最終的な目処がついて秋頃内定が出るのが相場だと思いますが、4年生になった頃には終了していたと思います。
東証一部上場企業でしたし、即刻内定をくれましたし、何より就活自体面倒だったので良いかと。
ただ大きかったのは、昔から両親がカフェを営んでいたこと、自分もいつかお店をやりたいと何となくは思っていたこと、そして「自分で」就活をやめる決断をしたことです。
社会人になってから
トリドール(丸亀製麺)に入社してからは、大企業ならではの組織での動き方や人・物・金の動かし方、飲食店での非常にレベルの高いQSCに関する考え方などを学びました。
今でも「新卒で大きい所に入っていてよかったなあ」と思います。大手ならではの研修や教育がありますし、現場ならではの「人に揉まれる経験」もありました。
若さもあって2年4ヶ月で退職をしましたが、その後もほとんどずっと飲食業界に身を置いています。
細かく書くとキリがありませんし、在籍期間など詳細まで覚えてはいませんがこの後・・・
トリドール
→アボットチョイス六本木
→リクルートライフスタイル(ホットペッパー⦅半年で鬱退社⦆)
→神戸のテキーラ専門BAR
→HUB三宮(国内PUB最大手)
→神戸ガレージパラダイス
→タリーズ広島本通
→プレナス(やよい軒)
→独立
という流れになります。22歳から34歳までで7回以上の転職を繰り返したんですねえ・・・。
それぞれに学ぶところがあり、それぞれに迷惑をかけました。ですが、それぞれに貢献してきたことも事実です。
転職回数は多いですが、その時その時にできることはしたと思いますし、学べることも学んだと思っています。
何故独立しようと思ったのか
元々は「いつか自分でやるんだ」と思っていましたが、「じゃあいつ?」というのが非常に難しかったです。
というのも、
・お金がないとできない
・知識や技術がないとできない
・周りとの競争に勝たないと続けられない
といった強い思い込みがあったからです。
当然ですが上記のような条件が全くないわけではありません。ですがそれらは最低限あれば十分です。今僕が一番強く思っているのは、「もう10年早く出したらよかった。」です。
お金はコツコツ貯めてきた実績と無理のない事業計画があれば貸してもらえます。
知識や技術も最低限あれば、あとは開業後に上達しても同じことです。
周囲の飲食店との関係ですが、競い合うより協力して、地域の住民を呼び込んだ方が建設的です。ゼロサムではなくプラスサムで考えるということです。
そんな僕がとうとう独立に踏み出すわけですが、人との出会い、金銭面での納得、自分の年齢、この3つが大きな理由でした。
「早くやれ」「さっさとやれ」「本気ならとりあえずやれ」「まさなりくんじゃけえ言いよるんで」
会うたびにそんな風に言ってくださった恩人がいます。プレナス(会社員)時代によく飲みに行っていたBARのオーナーさんの言葉です。
結果としてその方は大工さんや施工管理の監督さんを紹介してくださり、何ならご自身も現場での作業を沢山手伝ってくれました。
また金銭面に関して、実はプレナスに入社する前にも一度独立しようとしていました。その時とある業者さんとの打ち合わせで具体的な金額を提示していただき、「こりゃ無理だな!」と思ったのでした。
中途社員として入社してたったの1年と11ヶ月、きちんと安心できる金額を貯められたことも、背中を押す大きな要因です。
年齢に関してですが、平成3年生まれの僕は今年で35歳になります。ここは感覚的な話になりますが、「もうそろそろ出さないと、出さずに終わりそうじゃねえ?」と思い始めていました。
そんな折、人との出会いやお金の折り合いがつき、さまざま重なった中で独立の道を選びました。
このブログの目的
僕の文章を通じて僕の考え方が伝わり、独立するか否かを自己決定できる人が増えたら良いな。そんなふうに思いました。
何より自分自身が独立するまでにウダウダ10年以上かかったので、無駄な時間を過ごす人が減るといいと思っています。
独立すること自体は難しくありません。独立すれば良いのですから、その日から社長です笑
問題はその目的が何であるか、継続していけるのかどうか、幸せかどうか、です。
さて例えば僕の場合、独立して手に入れたかったものは
・自分で決めること(時間や行動に関して)
・生きていけること
・人と出会えること
などです。
当然ながら営業時間や休みの日程など、全て自分で決めることができます(当然責任は付き纏います)。
目的が稼いだり大きくしていくことではないので(そうなればより良いなーくらい)、家賃を抑えられる物件で、誰も雇わずに営業しています。
同業者の方や地域住民の方、昔からの友達など、開店してから既に沢山の人々に出会うことができました。結果として豊かである、幸せであると思います。
今では、「可能な限り多くの人が、飲食店に限らず独立して暮らしてみたら良いのに。」と思っています。
ガチです。
社会に出てコロコロと転職を繰り返し、いまだに朝シャキッと起きられず、自分との約束も守りきれない僕が独立して、もう3ヶ月経つんです。
このブログは独立しようと思っている人に向け、僕の正直な思いと現実(店舗の数値)を披露する場として制作しています。
ゆくゆくは直接お話ししたり、皆さんの壁打ち相手にでもなれたら良いなと、今は思っています。
いつでもご相談やご質問、お待ちしております。今後ともよろしくお願いいたします。


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